子ども時代
2024/06/06
子ども時代は
子どもらしく
散歩する保育園児たちに遭遇しました。子ども達はすこぶる元気で「せんせー、つかれた」「のどかわいた」「まだあるくの~」と遠慮なく言いたい放題叫んでいます。そして誰からともなく歌いだしみんなで合唱しながら通り過ぎていきました。
先生たちは大変でしょうが、子ども達はとても無邪気で実に子どもらしい姿で微笑ましかったです。
この『子どもらしい』様子は当たり前のようで、実際は子ども時代を『子どもらしく』過ごせている人は少ないと思います。
私の子ども時代はどうだったかというと、とにかく保育園に行きたくなくて、祖母におんぶされてバス停まで連れていかれ渋っても乗せられて、母が見送りならまだ良かったのにと思ってました。とにかく行きたくなんくて仕方ありませんでした。
保育園に行くと2人のボスがいて遊び道具は彼女たちのものです。とにかく保育園が楽しいと思ったことはない気がします。
家に帰っても家人は忙しくてかまってくれる者はいません。
昔はテレビゲームもなく、近所のいとこの家にばかり行っていました。それにしても私専用のリカちゃん人形がないことが悲しくて、随分粘ってやっと買ってもらった記憶があります。そういう環境でした。それは仕方のないことだとずっと思っていました。
しかし、長男が生まれると全く違って、弟には新しい玩具が簡単に与えられます。(え?いいの?これ結構高価だけど)と思うことが度々あり愕然としました。長男は別格なんだな・・・と。
少し逸れてしまいましたが、今思うと、まるで大切されない子供だったと思います。よくいう『手のかからない育てやすい子』でした。
ついでにお話しをすると、昔は給食費や諸費を袋集金でしていました。集金袋がくると、まず父に渡します。父は「手持ちがないから母からもらえ」と言います。母のところに行くと、母も手持ちがないから父からもらえと言います。また父のところに行き、母もないことを話し、そこまでするとやっとお金を渡してくれる。このやり取りを毎回しないとならない面倒くさい両親でした。提出が遅れて恥ずかしい思いをするのは私です。これはほんの一例で、自分がしっかりしないといけない状況でした。のほほんとしてなんていられませんでした。周りから変だと思われないように『普通』でいることに必死でした。
放任主義なんて言ってましたが、無関心な放任はネグレクトに近い状態だと思います。
大人になって『アダルトチルドレン』というものを知り、私が回復するきっかけになりました。
子育てで迷ったときは、『子どもらしく』いられるのはどっち?と自問自答もしてました。決して満点の子育てができてたわけではありませんが、それなりに子は成長してくれたと思います。
カウンセリングをしていてよく思うのは、子ども時代に子どもではいられなかったために、今現在、どこか不自由で、自信が持てなかったり、過剰に恐れを感じたり・・・
子ども時代に戻ってやり直すことはできませんが、自分の中にいる子どもの部分を見て感じて、大切に扱うことはできると思います。
不満や犯人捜しをするのではなく、これからの自分を大切にしていくために今できることは何か。
こちらで一緒に考えてみませんか。
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