持病とつき合う
2023/12/21
持病とつき合う
欠けているから愛おしい
年齢が増してくると何かしら身体の不具合が生じる。
あるいは、生まれながらにして奇形や治らない難病を抱えながら人生を歩むことがある。
運動を禁止されたり、大量の薬を毎食飲む必要があったり、
無理したらアウト。自分の中でいつも体調を気にかけながら生活する。密かに、普通の人と同じように振る舞う、これにも気をつかいながら。
ある人は、慢性的な頭痛を抱えながら仕事をしている。鎮痛剤をひと月に2~3箱使用しながら、職場の引き出しには常備している。大きな病院で検査をしてもはっきりしない。
ある人は、股関節に奇形があることを高校生の時に知り、過激なスポーツは禁止と宣告され、痛み止めでやり過ごすしかなく、最終的には大きな手術が必要だと。だから立ちっぱなしの仕事は無理だから、職種の制限やスポーツも登山も諦めてきた。
ある人は、難病といわれる病気になり、今後一生涯にわたって薬を飲み続けなければならなくなった。薬を飲み忘れたらどうなっちゃうんだろうとか。ふと、命を考えながら仕事に向かう。
このように生まれついたのは、親のせいでも自分の責任でもない。でも現実的には、ある意味ハンデのある身体。
それぞれがいろんなことを諦めてきたと思う。
ある人は、この不完全な身体でも愛おしく思う。もし、自分にこのハンデがなかったら傲慢になってしまうから。神様が自分の鼻を折るために負の部分を与えたのだろう、と。
この欠けがあるからこそ、どうにもならないことを受け入れたり、他人の弱さを想像できるのかもしれない。だから自分にとって必要な欠けだったと思う。と。
人は不完全な存在。
欠けていることを、足りない、できていないと追いかけるのではなくて、今あるものでいかに生きていくか。それが大切だと思います。
話したい、自分の中を整理したい方は、お気軽にお問い合わせください。お待ちしております。