言わなくても
2024/11/15
言わなくても
わかると思っていた
口に出して言わなくてもわかるはず・・・そう思っていた。
いわれなくてもいい子になってやってきた。ずっと察っしてきたのだから、他の人も察することができて当たり前だと思っていた。
ここまで言えばわかるはず、または、事情を細かく説明しなくても分かるはずだとか、ここに置いておけば分かるよね、と勝手に思い込んでいた。
自分の希望があっても伝えることはせず、なんとなく分かってもらえるものだと思っていた。
でも、そうではなかった。
そんなつもりじゃないのに誤解されて嫌味を言われたり、常識のない人だと噂されたり、傷つけられて悲しい気持ちにもなった。
本当はこうなのよ!と反論したかったけど、言えないまま悔しい思いもした。
あなたに何か悪いことしましたか?と聞きたくなるくらい。
でも、聞く勇気さえ持ち合わせてはいない。
どうして、いつも、こうなるのか・・・
そんなふうに思ったことはありませんか?
相手に合わせようと必死になってみたり、
上手くできない自分に落ち込んでしまったり、
どうすれば正解なのかをひたすら探して、考えれば考えるほど、どれが正解なのか分からなくなって頭の中は相手の一挙手一動に怯えるほどになってしまい、どんどん自分の中だけで解決しようと思考錯誤して、グルグル考え過ぎて疲れてしまった。
勿論、自分で考えることは大切。
不思議なことに、コトバにして口から出すと形になって出ていく、そしてなんとなく整理される。人に聞いてもらうともっと効果がある。家族や友人、職場の同僚でも話しやすい人で良い。近すぎて逆に話せないこともあったりする。そのためにカウンセリングの場があります。
話しを戻します。
人はテレパシーを持っていない(たぶん)。意思疎通するにはコトバにして伝えないと分からない。
家族でも友人でも、美容師でも優秀なホテルマンでも、こちらの考えていることを全て察することはできない。
だから、コトバにして口に出す必要がある。
コトバにして上手く言えないなら練習をすれば良い。
練習をリハビリと捉えるならば、リハビリしている最中なら失敗して当たり前。相手を傷つけたなら謝まれば良い。失言したら失礼しました。誤解されたらそんなつもりじゃないとか、理由を言えばよいと思う。たいていのことは許される。
そもそも、言わないでも相手はわかる。というのは傲慢かもしれない。
しかしながら、たいていの場合は子どもだった頃、自分の考えや気持ちを聞いてもらえない、または許されていない家庭環境だった。だから伝える手段として上手にコトバにする機会が少なかった。それは大人になっても同じで思ったことを気軽にコトバにして口に出せないだけ。
ちょっとしたお礼、ちょっとした声かけ、欲しいもの、素直な気持ちなど。
仕事だったら「こうしてね」と具体的に伝える。
何をしたらいいかわからなかったら「どうしましょうか」と尋ねるのも良い。
「聞かなくてもわかるでしょ!」の圧に負けないでほしい。もしかして、その人も「察しなさい」の人なのでしょう。
だから、察して正解を探し回るのはやめましょう。
そんな謎のテレパシーのやりとり。
わかるに違いないと思っていた勘違い。